べにや昨日の続き・・・
12月13日、渋谷のカフェマメヒコで
うちがいただいている遠軽の在来種の豆の生産者さんと豆問屋さんをゲストにして、豆サミットがあるというので、
長谷川さんや服部さんに会えると喜び勇んで行きました。
向かって左が豆農家 服部行夫さん(85歳)
右が豆問屋 長谷川清繁さん(75歳)
マメヒコのオーナー 井川啓央さんが司会、ゲストに
北田たくみさん(のるくす)・関根祥人さん(観世流能楽師)
このメンバーでの
長谷川さん、服部さんのお話は、都会のその世界では一流の人たちを圧倒する勢いだとおもいました。
服部行夫さんは北見の開拓農家の12人兄弟6番目の子として生まれました。13歳の時お父さんがなくなり、母47歳はひとりで
こどもを育てました。こどもたちを食べさせるために必死で働くお母さん、こどもながら一生懸命手伝う服部さん。想像に難くありません。
馬を飼っていて、その馬糞を堆肥に使います。、美味しい豆ができるそうです。牛糞は土地を冷やすが馬糞は温めるのだそうです。
自家用の野菜も豆もすべて無農薬有機ですが、
金肥(化学肥料)を買うお金がなかったからです。
有機農業とかなんとか超えた話です。
畑に機械を入れると土が固くなるといいます。
服部さんは豆の収穫も腰を屈めての手刈り。乾燥は島立て・棒にお・にお積みの
自然乾燥です。脱穀は手竿でさやを打ち付けて。手選り。これを87歳になる妻つるさんとふたりでします。
身ひとつでする仕事
べにや長谷川商店 長谷川清繁さんは、豆問屋の2代目。
二男です。長男は東京の大学へ。清繁さんも東京へ出て勉強したかったそうですが、お父さんが「頭の悪いのは大学で勉強しなくてはいけないが、お前は頭がいいから豆屋をやれ」といったそうです。
見習いは、厳しかったそうです。棒がそこらじゅうにあるもんだからよく叩かれたもんです。
「こんな家でていってやる」となんども思ったそうですが、お母さんのことを思うと出来なかった・・・
昭和18〜20年頃大食糧難。食べるものがなかった時代、
お母さんは、麦やかぼちゃ・芋にビルマ豆や貝豆を混ぜて炊いておいてくれた。こどもたちはみんな食べた。
そうやって必死に育ててくれました。
マメヒコのスタッフの質問です。
「わたしは、遠軽の豆が大好きですが、とくに紅しぼりが好きです。服部さんや長谷川さんはどの豆が好きですか?」
服部さん「本金時です。煮豆にして、夏場でも 傷みにくいからです。」
長谷川さん「貝豆です。お母さんが食べるもののない時代に、
麦やかぼちゃや芋に混ぜて食べさせてくれた豆です。」
「豊かさってなんだとおもいますか?」
長谷川さん「親の愛です。親への感謝の気持ちを忘れないでください。高価なものを贈るんではない、親には優しい言葉をかけてください。」
服部さん「愛です。」妻ツルさんとうらやまいいほど仲がいいです。
長谷川清繁さんの好きな豆はお母さんの貝豆なんです
開拓農民が故郷から持ってきた一握りの豆が飢えの時代を支え
貧しくとも愛に満ちた食卓に並んできた。そのことが
長谷川さんの在来種の豆を愛する心にあるのです。
豆サミットでは、在来の豆のデザートをいただきました。
前川金時のおこわ 中世白花豆のプリン
豆がほんのり甘く煮てあります。 おしゃれな豆プリンです
どちらもとても美味しかったです
カフェ・マメヒコでは、遠軽の豆を使ったデザートをいただけます。渋谷へ行ったら寄ってみて下さい。三軒茶屋にもあります。
べにや長谷川さんのブログで服部行夫さん家の餅つきの様子http://beniya-bis.at.webry.info/201001/article_1.html。
嬉しくなっちゃいます