
成人の日に八百屋のおばさんが考えたこと。
若い人に農作物を食べてもらいたいと思ったこと。
私は3月で72歳になります。
物心ついた頃、県道には馬が荷車を引き、馬糞がぽとぽと落ちていました。
親戚の家の近くに馬屋さんがあり、何頭もの馬がおり、運送会社でした。
資本のない人は何匹かの犬を使って荷を運んでいました。
内は商売をしていたので電話がありました。交換手のいる時代です。近所の人への取り次ぎをしてあげていました。
昔の話は限りがありません。懐かしいです。
70年間で昔話になってしまう変化です。
20年前だって、自分がこうしてインスタしているなんて想像もしてなかった。
これから先の変化のスピードはもっと激しいはずです。
世界の国の関係も自然環境の変化もどんなふうになっていくか、明るい未来を想像し創造していくことは私の小さな仕事でさえ、3年後5年後は分からないと思っています。
凡庸な私は、ただ、今日は分かる。明日も分かる。明日になればその次も分かる。
その一日一日を重ねて行くしかありません。
それと同じく、人の身体も一日一日を重ねて作られていく。食べる物で身体が作られ、その積み重ねが未来の身体の支えとなると思います。
それは物質としての身体だけでなく、
食べる物、特に一番自然と密接な農作物は心の充足感と感性も育ててくれる。私はこれがとっても大きいと思っています。
辛いこと悲しい時にお米を研いだり、菜っぱを洗ったり、切ったり。茹でこぼす時の湯気と青臭い匂い。
御飯のクツクツ炊き上がる音と匂いをかいだり。不思議に心が静まって生き返る事があります。
手で触れること見ること嗅ぐこと聞くこと食べることそれらを通して身体隅々に散らばる何かがある気がします。
食べ続けることで知らず知らずの内に
揺らぐことはあっても倒れてしまわない何かが作られていくと思います。
二十数年この仕事を続けてきて身体で感じることです。