Eテレ「タネの箱舟」放送の中で登場した
平八郎大根についての岩ア政利さんのお便りの紹介です。
今まで何回も長崎大根と名付けた新海さんのお父さんの種をつないだ大根は店にも届いて、定期購入のお客さんたちも口にしてきた大根です。
過去「長崎大根」がテーマのお便りは何度もありました。
紹介するお便りにあるように、長崎大根の姿を求めてのあれこれが書かれていました。
定期購入のみなさんは、下記のお便りを読むとああそうだったんですね、と
映像の中で岩アさんが突如として「平八郎大根」と名前を変えたことが唐突でないことが理解できるのではないでしょうか。
私は今回お便りを書き写しながらようやく理解しました。そしてこれから長崎大根が平八郎大根へどのように変わっていくのか面白く思います。
長文ですのでお時間のある時に是非お読みください。

種をあやす(平八郎大根をあやす)
7月に入れば私の農園にはビニールハウス内に一時的にサヤとして保存していた野菜たちの種をあやす時期を迎えます。
今回は15日に10名以内と予想していました。たくさんの方々が参加して下さいました。例年には南瓜類が多く、そして地きゅうりの仲間そしてズッキーニ・・・。本当にすくない品目の果菜類の仲間でした。畑から種どり用にと拾い上げた3箱の福島ミニ南瓜など。納屋に運んでみたがもうすでに畑の中で傷んでいたのか、4〜5日もすぎればコンテナ1箱になってしまっていたものです。
種をあやす中に長崎大根もありました。実は先日この長崎大根の生みの親の娘さんの新海さんが久しぶりに畑見学に参加して下さいました。
私は長崎大根をぜひに新海さんといっしょに種をあやす事が出来たらいいなあ・・・!思っていました。今回はすくなめの4束にして、サヤを前にして種をあやす前にこの大根を50年近く守っておられた新海さんのお父さんの生前の姿をすこしでも知る事が出来たらこの大根を見方が変わってくるのではと、思っていました。
父はこの大根とは知人から分けてもらったものから種をつないできていたと思います。・・・に
私はこの大根大きな夢をいただいたようです。種屋から買って育てた大根とは違っていたのです。農協職員で事務にとても誇りをもっていた姿とは決っと種を守りながらこの大根や菜園の中で育てている野菜たちも大切にされていたと思います。
お父さんの名前は橋本平八郎さんとすてきな名前でした。平八郎大根がいいのではとその場で思いました。
私はこの種をつないできた中で、この種のいちばんの始まりとはどの固定種の大根だったのか毎年に見えずにいました。50年位前に栽培されていた。大蔵大根、理想大根などはなかったのかと・・・・!私は大蔵大根の可能性を重く見て、大蔵大根に近づけようと3年近く選んでいたものです。知人からもらった大根と聞いて、私はひょっとして今は栽培されていない諫早地方の在来種の諫早4月大根の流れであったらすてきだなあ・・・と感じました。
この大根は新海さんおとうさんが亡くなられてからすでに10数年すぎています。
私の畑のすみに最後に生き残っていた7本の大根しかし、花が咲く前には風でたおれたり途中でなくなったりして3本〜4本しか花を咲かす事が出来ませんでした。まさに奇跡的に生き残ったものです。そして今回は私の畑で育って4回目の種をあやす事になります。ああ・・!結局この場とは新海さんお父さんの話を聞くだけに終わってしまったものです。明日の15日に、新海さん娘さん夫婦に新海旦那様の手で実際に種をあやしてもらったものです。まさか、こんなにこの大根のストーリーが広がっていくとは想像していませんでした。平八郎氏の50年近くのこの大根への想いを私がくみとって見たいなあ・・・!この冬からは諫早4月大根を想像しながらつないでいけたら・・すばらしいな・・・・1これからの種の未来とは・・・!また種を守る意味とは・・・!平八郎大根から学ぶことができるのでは・・・と願いながら・・両手でもみあやす・・
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